物を生かし切る知恵、使い切るコツ

今の時代にこそ新しい、先人の知恵


私はしばらく夫の母といっしょに暮らしていたが、はやく母親と別れた私にとって、夫の母を身近に見て暮らすことに、さまざまな意味でしあわせを感じたものである。

「おばあちゃん」と、私たちは呼んでいたが、うちのおばあちゃんには老人くささが少しも感じられないので、ときには、自分と同年配の人のように思って、話をしていた。

たとえば、食事の後片づけをするとき、急須のお茶がらをパッと捨てようとする私に、「きょうは油物が多いから、お茶がらで一度洗ってから、洗剤で洗うといいかもしれないねえ」と、さりげなく注意をしてくれる。

そういえば、昔うちにいた六十代の家政婦さんが、よく、お茶がらをためておいては、油で汚れたお皿や鍋を洗っていたのを思い出した。

「おばあちゃんの若いころは、お茶がらで油物を洗ったのですか?」ときいてみると、「そうよ、今みたいに便利な洗剤なんかなかったから灰で磨いたり、お茶がらを使ったり…」それが磨き粉になり、粉石りんになり、だんだん便利なものができてくるごとに、台所仕事も楽になってきたことを、語ってくれた。

こうした手近にあるものを利用しての家事技術を、今の私たちは、あまりにも忘れていることに気づかされる。

油に汚れたお皿を拭くとか、揚げ鍋の油を拭き取るにも、市販されているフライパン拭きの専用紙とか、ティッシュペーパーの類を、私たちは惜し気もなく使っている。

そして、洗剤液にひたして洗い、湯わかし器のお湯をふんだんに使ってすすぎ上げ、ふきんを使わなくても食器が自然に乾いてしまうからと自慢する。

しかし、私は決して昔にかえれというわけではなく、むしろ現代の暮らしのテンポに合わせて、便利なものはできるだけ取り入れることを「必要」と思っている。

けれども、一方ではまた、便利なものに頼りすぎるために、洗剤やお湯がなければ油汚れの食器が、きれいに洗い上げられないようでは、困ると思う。

実際、電気釜がなければごはんが炊げないという若い奥さんを私は何人も知っている。

その奥さんたちは、お茶がらは捨てるものであって、捨てる前にもう一度役に立てようとは絶対に考えないだろう。

そこに私は改めて、昔の知恵をふり返る必要を感じる。

八十歳をすぎたおばあちゃんは、お茶がらを集めて干し、枕に入れると香ばしいことや、干したお茶がらを火にくべて、その煙にいやなにおいのついた缶をかざして、悪臭取りにも使った。

私だったら悪臭を取るといえば、すぐ薬局にとんでいって、活性炭を買い込んでくるにちがいない。

こうした暮らし方のちがいを、お互いに張り合う気持ちではなく、なるほどと思って知恵を交換しておくことが、今の時代にこそ必要だと、しみじみ考
えさせられるのである。

先ばかり見て歩いてきたために、足元が見えなくなったことを、生活者としての私たちは今、気づいておかなければならないと思う。

年をとった人が、若い者に負けまいと新しい知識を求めるのに比べて、若い者が過去の知恵をただ古いと見向きもせずに、通りすぎていくほうが多いのは、どうしても、大きな損失だと私には思われるのである。

ものを捨てる前に、その必要性をもう一度考えてみたいものである。