生活の中に取り入れられる昔の知恵を最大限に利用しよう

合理性が輝く生活術を身につけよう

「生活の知恵」をテーマにしたテレビ番組で、明治生まれのお母さん方が、そのまた母や祖母から受け継いできた暮らしの知恵を、紹介したことがあった。

実はそのテレビ番組で、明治生まれのお母さんと昭和生まれのお母さんの、家事の知恵として、はっきり違いのみえるような例を出題者として考えてみるようにと言われ、さて…といろいろ考えてみたが、今の暮らしの中でも、昔の知恵を必要とすることとなると、これはたいへんむずかしい問題だと気づいた。

そこで、私は、障子張りと大根一本の使い分けをテーマとして選び、打ち合わせもないぶっつけ本番で明治と昭和生まれのお母さんに、その実演をしていただいた。

さしあたり、ごはんの炊き方というところで、「はじめチョロチョロ中パッパッ、赤子ないてもフタとるな」の要領でも披露してもらうのが筋道であっただろうが、今は電気釜が自動的に炊いてくれる時代だから、これはやめにして、それに近い障子張りを問題に選んだのである。

障子は私たちの暮らしの中からしだいに消えつつあるが、しかしまた近ごろは、かえって若い人たちが「やはり畳の部屋でくつろぎたい、和室は多用性があるし、デザイン的にもガラス戸の内側にもう一枚障子を入れれば、カーテンも不要で冷暖房にも合理的だ」という、ムードと理論で和室を支持する場合が多いときいている。

そうすると、その障子というものを美しく維持する技術も、当然、受け継がれなければならないと思う。

明治生まれのお母さんたちは、私の予想どおり汚れた障子紙をはがすのに、刷毛でのりサンの部分をぬらし、糊がはがれるまでのしばらくをほかの仕事をしながら待ち、紙がはがれるころ長い棒を使って一気に巻き取り、古紙は乾かして渋を塗り、小包や干物などを作るときの敷物に使うというところまで、昔ながらの知恵を披露してくれた。

そして障子張りも、下から上へと張り、張り合わせの部分に、ほこりがたまらぬ工夫を話してくれた。

大根一本も、葉は菜めし、茎は塩漬け、葉つきの青首の部分はみそ汁に、まん中の一番甘くやわらかい部分はおろしやふろふきに、しっぽの部分の半分は苦味もあるので、油妙めにしてあさりとの煮物、最後の細いところは、切り干しにして酢の物にと、おいしいたべ方を紹介してくれた。

あのテレビをごらんになった方がいれば思い出していただけるかもしれない。

電気器具などの機械物などを使わせれば、だんぜん旗色のよかったであろう昭和生まれの若いお母さん方も、こういう点では、完全にシャッポを脱ぐ形になってしまったが、私はむしろ、当然のことだと思う。

住まいは障子張りの必要のないマンションや団地暮らし、大根は、五センチずつ買えるような暮らしであれば、こんなことを忘れ去っても、現在の日常生活には、不便はない。

ただ、これを忘れ去ったことが、もしも古いものへの無条件の反発で、わざと古い人の知恵を見まいとした結果であったら、やはり損なことだと思う。

受け継いで損にならないものは、貧欲に身につけたほうがよいと思う。

昔の知恵の中にも合理性は輝いているのである。