資源や物は大切に使っていこう

水という資源は無限ではない


先日、さる大企業の工場を見せてもらう機会があった。

工場や研究所の見学を終えたあと、排水処理場を見せてもらいたいと申し出ると喜んで見せてくれた。

何槽にも分れた、かなり広い場所をとった排水処理場で、すっかりきれいな水にかえった排水がまた工場での用水として使われていくのを、私は、深い感銘をもって眺めてきた。

私たちも毎日よく水を使うが、その排水の行方を考えると、おそろしくなることが多い。

リサイクルは考えられないものだろうかと、水不足のときなどは、トイレの水洗や風呂の水を流すのも身がちぢむ思いにもなるのである。

皿洗い機の水使いや、洗濯機の水使いも、よほど考えて、無駄のないようにとまとめ洗いをしているが、それでも、もったいないと思う気持ちはつよい。

私たちは水に恵まれすぎて育ったために、かえって、この水が使えなくなったらと考えるとおそろしさが先にくる。

私のうちでは井戸水も使えるようにしており、掃除や食器の下洗いなどは井戸水を使うし、植木の水やりも井戸。

少々、鉄分が多いせいか、ときに茶色の水が出るので、洗濯や風呂には使えず、トイレも、最近になって水道に切りかえた。

井戸水が使える家庭ならば、用途によって、消毒された水を使うことは、ひかえたいものだと思う。

若い人たちと、台所でいっしょに働いてみると、湯わかし器からお湯をどんどん流しながら茶わんを洗っているのが気になり、私はよく注意をする。

流れ水で洗うときは、必ず下に洗いおけを置いて、たまったお湯は、ごみバケツとか何かを洗いなさい、きれいなお湯や水ならバケツにとって掃除用に、と、順を踏めば水がそれだけ有効に使えるから、と言う。

言われればすぐ納得してくれる。気がつかないだけなのである。それをケチと受け取る人がいなくなったことは、やはり現代人として避けられない、エネルギーとか水資源への関心のたまものと言えよう。

使わなければならないものは使うけれど、無駄使いは不道徳だと思う生活感覚がだれにも必要なのではなかろうか。

ものは使いよう


私は刃物が好きで、包丁はもちろん、切り出しやナイフ、ハサミなどをよく買ってしまう。

ハンドバッグには、小さなナイフとハサミがいつも入っている。

このごろは、何でもポリエチレンの袋に入っているので、外出先でちょっとちり紙を買っても、ハンカチーフを忘れて駅で買っても、ポリ袋から出すのに袋の口を切らなければならない。

ポリ袋を手で切りさくのは、どうもきらいだからハサミを使う。

ポリエチレンの、あの未練がましく手にからみつくしつこさが、紙のいさぎよさとくらべて私は生理的に気にさわる。

だから、ハサミでぴしりと切りたいのだ。

たとえばこういう、生理的にいやなものを感じることをなるべく避けたいための無意識の要求か、私はものを切るための道具は、ほかのものにくらべてぜいたくをする。

ハンドバッグに入れているナイフもハサミも、もう十年ほど使っているが、当時数千円を払って買った。

こういうものは高くてもお金が惜しいと思わないから不思議である。

いま私は台所専用に比較的いいハサミを二つ置いている。

ひとつは調理バサミとして市販されている刃にギザギザのあるもの。

もうひとつは裁縫用の裁ちバサミである。

この裁ちパサミは、ポリ袋を切るとか、ケーキを焼くときの型に敷く紙を切る、その他、何かと役に立つ。

調理バサミはなくてもすむが、直接たべものを扱う専用バサミとして勘酌を切るとか、手でとりにくい半乾きの干物の頭を落とすとか、天ぷらにするエビの尾の半分を切って水けを出すときなど、あれば便利で、とくに台所仕事に不慣れな若い娘さんが遊びにきて台所を手伝ってくれるというときなどによく使う。

ハサミを使ってもらうと手を切る心配がないので、そんなとき利用してもらう。

実はこの調理バサミは、前に使っていた外科輿万のかわりに買いもとめてみたものだが、私には、どちらかといえば前のハサミが好ましい。

ご存知のようにそれはお医者さん用のものである。

左右別々にはがすことができるので砥ぐのも素人にできるし、もちろん煮沸してもよく耐え、何よりもよく切れるハサミなので、台所専用バサミとしてはこの上ない重宝なもの。

古女房の私にはたいていのことなら包丁があれば事足りるので、わざわざ調理バサミをそろえるより、よごれた紙やポリ袋など切っても、すぐ熱湯で消毒すれば気持ちもよいし、その自然の熱でたちまちかわいてしまうから便利でもあった。

そんな便利なものだからひとつあれば事足りた。

料理の講習に出かけるときもっていってなくしてしまったので、かわりに調理バサミを買って使ってみているのだが、やはり外科関万がなつかしい。

ハサミがいい例だが、台所用として特別に作られたものでなくても、台所専用にして重宝なものが意外に多い。

まして妙に工夫をみせびらかした新製品より、思いがけず使いようで役に立つものがある。

それをさがし出すのもたのしみなものである。