賢い女の節約生活の知恵~すてきなケチをしてみませんか?~

ゴミ箱の中のほり出しもの


廃物利用という言葉を私は好きではない。

廃物はまさに廃物であるから、それを利用するというのは、何だかみみっちい感じがつきまとう。

ところが、ある人にとっての廃物が別の人にとっては決して廃物ではなく、それどころか貴重品であったりもする。

先日、さる著名な女流の評論家にお目にかかったとき、あの廃品として街かどに出されるゴミの山の中に、意外な骨董的価値のあるものが放り出されていたりするという話をうかがった。

冬の終わりの頃、近所のゴミ収集所に古い型のガスストーブが捨てられているのを見つけた。

いいものなのでもったいなくて、ひろってこようと思ったけれど何しろ気がひけて、意を決するまでにはしばらく時間がかかったとその方は話しておられた。

今どき手に入れようと思ってもどこにもない品で、見ればスケルトンもしっかりしている、これを見捨てるのはいかにも惜しい。

「えいっ」とばかりひろって家に帰り、使ってみると立派に役に立つ。

うれしくなってみがき上げたところ、堂々たる風格をもったストーブであり、応接間のアクセサリーとしても申し分ないほどのものになったが

いくら捨ててあったとはいえ、そのままいただいてしまうのも気がとがめるので、町会に金一封を寄付し、その理由を申しのべたところ、そういう役立て方をしてもらうとありがたいと感謝されたそうである。

きっと、その金一封は、老人クラブのお茶菓子にでもなって、みんなを喜ばせたにちがいない。

私はその話を、すてきなことだと思いながらきいた。

そしてその評論家の先生がすっかり好きになった。

物のいのちを最後まで大事にする、その精神があやうくゴミとしてうもれる運命にあったものを生き返らせたいい例だと思ったのでここにご紹介するしだいである。

それにしても、ある人には捨てるしか方法のないものが、別の人の手に入るとそれが生き生きと使われるという分れみちは、いったい何なのであろうか。

もちろん、価値観のちがいということはあろうが、その「物」に対する知識であるとひとつには、は言えないであろうか。

私は、精神主義だけでものの価値をみとめるような方法、たとえば、ただの一銭のお金を井戸に落としたとき何百倍何千倍かのお金をかけてそれをさがす、といったような昔の教訓はとらない。

それよりは、絶対に次にはそんな失敗をしないようにするために費用や人手をかげるべきだと思うからだ。

金銭や労働力にもかえられない価値観を感じるものなら、話はまた別である。

ケチの精神は、やはり合理性の上に立つべきものだと私は思う。

暮らしをたのしむすてきなケチ


私のケチは自分が最もほしいものを得るためにはじまった。

第一には時間であった。

そのために、時間をかせげるものは何でも使った。

家事の手間やそれに使う時間を省くために、たとえば、トイレの掃除にもよごれを見つけしだい私は紙を利用しては使い捨てていた。

ついこの間までの、物はどんどん消費しろ、という風潮のときは、それに何の抵抗も感じないで私は消費優等生のように暮らした。

自分の浅知恵にショックを受けたのは、ゴミ集めの実態や処理の大変さを見たり、静岡県の海でヘドロを見、東京の下水処理場を見学して歩いたことからであった。

紙は極力無駄には使わない、洗剤はいいかげんに使わない、水も電気も…といった消極的な節約は当然のことだが、積極的には買い物の制限をはじめた。

たとえば新聞や雑誌の切り抜きを整理していて、スクラップブックやバインダーが必要になり、買いに走ろうとして「ちょっと待てよ」と自分に言いきかせる。

そして、「ワイシャツを買ったときのそろった空箱が何かのとき必要かと思って二コだけ物置に入れであったが、あれを利用してやれ」と思いつく。

その箱に切り抜きを入れて横に見出し紙をはり、本棚に並べてみると、なかなか立派なスクラップケースになった。

こんなことに味をしめ、全集本や百科事典のケースをとりはずしてラシャ紙をかぶせ、小冊子や切り抜きの分類整理ケースにしてみると、高さも幅もそろってなかなかきれいに整理できる。

本はケースをとると売るには安くなるそうだが、今は売る意志がないからどんどんケースをはずしてしまった。

そのほうが、本も出しやすい。

これだけでも、必要と思っていた買い物をせずにすんでとても助かったし、わが家にあるものを生かして使えたとうれしくなった。

こんなことは、ほんの一例であるが、それを使うのがみじめになるようなじめじめした利用の仕方は私はまっぴらである。

そのかわりたとえゴミの山の中からひろってこようと、自分がたのしんで使えるものならとことん使い切る、そんな明るさで何でも使い切るまでは買わない暮らしこそが、すてきなケチではないのかしら、と私は思っている。

これからも大いに工夫するつもりである。